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一店逸品運動
お元気歌声商店街
2012/02/05 8:55 pm
「おばちゃんストリート」を名乗る愛知県瀬戸市・末広町商店街では、中高年の女性が客層の中心なのに“何やらわからん今の曲”が聞こえているのはしっくりこない、とアーケード全体に流す曲を「唱歌」にしました。
毎日11時にはラジオ体操も流します。お客様はなつかしい歌を歌いながら歩き、寒さに縮こまっていた店主は外に出てお互い汗を流すようになりました。

“おばちゃん”をテーマに商店街活動をしている末広町のことは以前から書いていますが、これは本当にいいアイディアです。
商店街はもちろん、ホテル・旅館、個人店舗など物が売り買いされ、サービスが行われるところで意外に後回しにされるのが音です。音を流すという発想すらないところもあります。
別に選び抜いたこだわりの音楽でなくていいのですが、そこにいる人をどのような音で包んであげるのか意識していないところはダメという話です。
音楽などいらない、威勢のいい呼び声、シズル感ある音で演出、もあるでしょう。ホテルなどで朝、鳥の声を流しているのも一つの選択です。または静寂で包む選択もあります。
地方の商店街で経験するのは、年間同じ有線を流しているだけの無神経さ。クリスマスと年始はどこでも同じ季節物になりますが、他は商店街の現実とかけ離れた音楽の登場となります。
ほとんど人気のない高齢者が利用する商店街に流れる、にぎにぎしいヒットソングほど寒々しいものはありません。音楽とお客さまの現実と距離がありすぎる、そんな曲を平気で流している商店街はお客様に「来るな」と言っているようなものです。
末広町では店のおばちゃんたちが、お客のおばちゃんたちのために考えました。「音楽に敏感な商店街になろうといっても、そんなしょっちゅう音のこと考えてられないよね」「演歌だと趣味が出すぎるし」などなど話しているうちに、唱歌の有線メニューを誰かが探してきました。
「童謡なんかみんなで歌えるからいいよ」「ね、それならラジオ体操も流さない?朝の6時半は無理でも商店街で決まった時間に流せばみんなできるじゃない」というわけで、昨年10月からはじめています。
秋は「め〜かくしおにさんて〜のなるほうに♪」「かきねのかきねのまがりかど〜♪」「か〜ら〜す〜なぜなくの〜♪」なんて歌が流れていました。

お客様よりベンチが多いくらいのアーケード、音楽は写真に映りませんが流れる唱歌がガランとした商店街に一休みししていけばと雰囲気作りをしています。八百屋さんが「なつかしくていいね、お客さんと歌のことで話ができるもの」と語っていました。
先日うかがうと「きたかぜ〜こぞうのかんたろう〜♪」おばあちゃんと子どもが一緒に、歌いながら普通に歩きすぎます。「おうまのおやこはなかよしこよし〜♪」カートを押して歩いていたおばあちゃんは歌にあわせて「ぽっくりぽっくり」リズミカルに歩いているようです。
これならきっと末広町から戻ると、今日聞いた曲を家でもつい歌ってくれているはずです。よかったよかった。なにより商店街のおばちゃんが流れる音に気を使えるようになったことが進歩でしょう。
さあ、ラジオ体操の音楽が始まりました。これまたなつかしいラジオ体操第一です。店の中に引っ込んでいる店主や、店番のおばちゃん、買い物に来ていたおばちゃんも「はい、大きく胸を開いて、いち、に、さん、し!」

アーケードを見渡すとそこここで体操中。歩きながら首や肩をまわしている買い物おばちゃんたちも。体操が終わるとああ、すっきり。みんなに一体感が育ち、身体も温まり、いい感じになりました。
これ、いいですよ。全くお金のかからない商店街活性化手法、おばちゃんの知恵です。
下の写真は「おばちゃんストリート」で売り出した、おばちゃんハンカチタオル。
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お仕事
すわわせな街
2012/01/29 6:10 pm
長野県諏訪市のまちづくりサロンに、ゲストでうかがいました。参加者に諏訪のスローライフ資源を書き出してもらいました。
多かったのは酒、漬物、温泉、諏訪湖。どうやらみんな、諏訪湖を眺め、スポーツを楽しみ、朝晩温泉にはいり、自慢の漬物を分け合い、地酒を味わうことが日常のようです。
ここ諏訪は幸せ“諏訪わせ”な街だね〜、と即、語ろあわせができました。

上諏訪駅に降り立つと、大きな注連縄が掲げられています。あの、御柱祭りに使われるものとか。このあたりでもう、東京ものはガツンとやられますね。あんなすごい祭りも、こんな注連縄もわが街にはないもの・・・。

水の豊富な諏訪には地酒の蔵が9軒、その一軒に寄ります。ここのショップが良かった!大ぶりの盃と、酒粕で作ったお酢と砂糖で梅を漬け、梅酢をとったあとの残りの梅(ややこしい)を買いました。

甘いシロップような梅酢をとった後の用なしの梅なのですが、カリカリ試食するとなんともおいしい。梅酒の梅よりアルコール分がないのでさわやかです。なによりこういうものを、瓶入りで売るなんてところがいい。

結局、私の話は、注連縄のお出迎え、諏訪の酒屋さんで今学んだこと、という話から始まりました。サロン参加の皆さんにも梅を食べていただきます。こうい駅、お店があることで、地域のスローライフ度はあがるはずですと。

そしていつものように参加型のワイワイ。諏訪のスローライフ資源を各人書き出して、それを解説してもらいます。こうすると全員が何か話せる、お互いが知り合えある、情報が共有できる、ああ楽しかったという研修になるものです。

「酒」と書いた人が多かった〜。水があるから酒が出来る、水は野菜も育てて野沢菜はじめの漬物になる、水は温泉となってもふんだんに湧き上がる。水は工場も誘致する、だから精密機械の企業が多く働き口もある。

水は湖となり、眺めれば心おだやかになり、カヌーに乗ったり、周囲16キロをマラソンしたりウォーキングしたり。諏訪の幸せは水がもたらしているのかもしれません。

「あんまりいいものが身近にあって、ある意味豊かなんでみんなそんなに欲がないんです。それが難点」と誰かがいいました。何もなく、お尻に火が付いた土地ならば必死にどんどん変化するのかもしれません、「だから、屁理屈をこねてなかなか動かない人が多い」とか。

でも、幸せならそれを大事にすればいい。諏訪湖という大きな盃を抱えて、ちびりちびりとやりながら、その幸せを、“諏訪わせ”を地元の人が大事にとことん味わい楽しめばいい、と思います。
そしてその次に、少し他の土地の人にもその“諏訪わせ”をおすそ分けすれば、また、刺激を得て、幸せ度も上がっていくということでしょう。

誰かが書いた諏訪自慢に「諏訪の青空」ということばがありました。翌日の帰りの朝、まさしく晴れた空。これも水色でした。

ついでにもう一つ“諏訪わせ”話題を。商工会議所に着いたときこんなポップを見つけました。呼ばれた講師としては幸せ気分になりました。このポップを作ったここの担当者はメールにいつも「諏訪笑幸会議所」と書いて、私を笑わしてくれます。はい。
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スローライフ運動
日光へ行こう!
2012/01/22 3:23 pm
2月10・11・12日「スローライフ・フォーラムin日光」を開催です。日光といえば、東照宮や杉並木などを思い出しますが、合併した日光には多様な魅力が。
足尾、栗山など、普通の観光ではなかなか行かないところでの分科会、鬼怒川温泉駅前での全体会という構成で、テーマは「交流」。
この日、日光は全国からの参加者と、日光市民との交流プラットホームになるのです!
栗山分科会などは既に満員御礼、バスを増やす算段をしていますが、事務局・野口としてはさらにお誘いしてします。はい。
詳しくはこちら↓をご覧ください。ご覧いただいたのを前提にさらに解説です。
http://www.slowlife-japan.jp/modules/katudou/details.php?blog_id=1362月10日(金)は8時50分東武線浅草駅を出発。特急りょうもう号で、相老(あいおい)というところまで。(一部8時出発という情報が流れましたが、これは間違い、ゴメンナサイ。)
皆さん、この東武鉄道の特急に乗ったことありますか?全席指定で快適です。日光・鬼怒川方面も同じ。浅草駅の売店は、普通の売店よりいい品揃え(と、私は思う)。ここでカツサンドとビールを買って、小旅行気分ということも。
まあフォーラムの日はビールを我慢しても、お弁当は浅草で買いましょう。で、相老でわたらせ鉄道に乗り換えます。小さな駅、短いホームに着く短い電車に乗ると、昔のバスの車掌さんのようなお姉さんが車内でその先の切符を売ってくれます。いい雰囲気です。
進行方向右が渓谷が見える側。車内販売はありませんが、突然、地元の方がふかしイモなど首に下げて売りに来ることも。
途中、注文していて、お弁当を受け取るシステムもありますが、雪の中2分間で、反対のホームまで走らなければならないので、冬はおすすめできません。私は下見で転びそうになった!
冬のわたらせ鉄道の各駅がイルミネーションで飾られているとのこと。これは楽しみですね。
通洞(つうどう)という駅で降ります。ここはもう、日光市の足尾です。通洞ということばがそもそも鉱山用語。わたらせ鉄道も今は3セクですが、もともと足尾銅山の貨物輸送に使われていた線路です。
ここからはバスで、銅山見学。先週書きました。↓
http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=140見学後、足尾分科会は14時から足尾公民館で。テーマは「産業遺産と環境学習のまちづくり」。通洞駅から近いので、遅く来てここから参加もできます。風のウワサでは、昭和8年頃の、足尾の映像があるとのこと。足尾行進曲とともに流れる昔の様子は貴重なものです。
分科会の後は、「国民宿舎かじか荘」で夜なべ談義、17時から。飲み放題で交流をしっかりした後は、山椒が名物の足尾です「山椒うどん」などで〆。「山椒シフォンケーキ」のさし入れもあるかも。国民宿舎らしく?髭剃りやバスタオルはない「かじか荘」ですが、半露天の岩風呂はいいですよ〜。
翌日11日(土)はバスで栗山まで大移動です。栗山というと、湯西川温泉が知られますが、今回は川俣ダムの方に向かいます。
10時に東武・日光駅、JR・日光駅でこの日から参加の方々をピックアップ。そしてぐんぐん山の中へ。その間、日光について詳しいガイドが車中で。地元にいるスローライフ学会の方が説明です。
昼食にけんちん蕎麦つきの定食を食べて、栗山分科会会場、栗山総合支所へ。ここでは「ばんだい餅」といううるち米で作ったおもちにジュウネン(エゴマ)をぬったものを試食できます。ここのテーマは「山里のおもてなし“食”と“まつり」、それらしい分科会スタートです。
栗山は小さな集落が点々としてある地域。平家の落人伝説があるところですから、昔は本当に交通の便が悪かったはずです。今も残る平家塚(千人分の鎧や武器、小判を埋めたらしい)を発掘したいなんて思わないでください。手が腐るという言い伝えで守られているのですから。
17時から野門(のかど)にあるお宿で夜なべ談義。この野門地区には戊辰戦争の時、東照宮の本尊をこちらに非難させたとかで、今も栗山東照宮として祭られています。
「大野屋」の6つの囲炉裏を囲んで大交流会です。ここの料理はいいですよ〜、女将さんもいいですよ〜、さらに温泉もいいですよ〜。本当はここの料理を食べてから話し合いをすべきなのだけれども・・まあ、しょうがない。↓
http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=139そして最終日12日(日)は、パネリスト・コーディネーターと事務局は鬼怒川温泉駅前の藤原公民館へまっしぐら。一般の参加者は、栗山地区でも湯西川へ入ってここのかまくら祭りを見学、お土産など買って食事もして、全体会会場へ。13時30分から全大会・テーマは「交流」で、16時終了。鬼怒川温泉駅からみんな帰路に着く、という段取りです。
と、事務局目線で一気に説明しましたが、なんだか食べ物のことが多いのは私の性格でしょうか。
今日時点のお申し込みで、遠くは新潟県、富山県、福井県からもご参加。まちづくりのNPO、行政、商工会議所、個人、立場もいろいろな方たちです。
足尾・栗山・全体会のパネリスト、コーディネーターがほとんど泊り込む12日夜は、日本全体を見回しながらの大変な交流夜なべ談義になりそうです。
これだけの全国からの濃い?人たちと、日光市の地元の方々の交流が、みんなの栄養になりスローライフのまちづくりへ一歩も二歩も踏み出すきっかけになれば・・・私の肩こりも報われるというもの。
まだ間に合います、ご参加ください。
お問合せは私のNPOまで。↓
NPOスローライフ・ジャパン
〒160-0002東京都新宿区坂町21 リカビル301
TEL 03-5312-4141 FAX 03-5312-4554
メール
slowlifej@nifty.com
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スローライフ運動
足尾銅山跡
2012/01/15 8:22 pm
“跡”というのは物悲しいものです。城跡、学校跡、歴史や思い出に浸るならいいのですが、鉱毒ガスで自然や暮らしのなくなった銅山跡となると、かなり胸が詰まります。日光市の足尾銅山跡を訪れたとき、寒々しい気持になりました。
でも、植林の跡も見ました。苗はまだまだ大きくなっていませんが、未来に向けて人が動いた跡です。我々は何をすべきか!新しい足尾を感じました。

江戸時代に発見された鉱脈は、寛永通宝を造り、“足尾千軒”といわれる繁栄を築いたそうです。その後、生産は落ち込んだものの、民間の手で返り咲き1884年には日本一の生産量となりました。
しかし1885年には鉱毒被害報道が。精錬に必要な木材を付近の山から切り出し、さらに、精錬時に出る有毒ガスとそれに伴う酸性雨が木々を枯らしたといわれます。木々だけでなく、土壌も、人の身体も、村も・・・・。
これは、日本の近代化、経済成長を急いだ日本の各地で起きた、いわゆる公害と同じ質のものです。つい先日、今の“福島”と“足尾”を同じく論じる大きな新聞記事を見ました。確かにそうかもしれません。
実際に山の中に入ると、今でも山肌はガレキ状態。植物の生えていない山は、カラリカラリと音を立てて崩れているようでした。まるで清流のように崩れた石たちは、乾いた一直線の流れを山肌に造っています。

普段目にしていないだけで、こんなところが、今でもこんな風なままであったんだ。というのが素直な感想です。東京のきらめくにぎわいと、その発展の基礎を創るためにガレキになってしまったところとが、今このときも同時に存在するわけです。
知らなかったら済んだのに、知ってしまった以上どうするの?と山から問われているような苦しさでした。
そんな時、すくわれたのが植林の風景でした。よ〜く見ると、山の上の方まで。調べると1897年から植林が始まっているのだそうです。それなのに、見た目まだ禿山というのは、それだけ土がやられているということなのでしょうか。
ヤシャブシの木は毒ガスに強かったとか、植林された苗の手前で以前からあったようなヤシャブシが枝を広げていました。
足尾では今、植林はもちろんのこと、環境学習を全国から受け入れたり、銅山跡を観光資源にしたり、新しい動きがずいぶん起きています。負の遺産を、世界遺産に登録しようという動きも。
足尾名産の山椒の葉と実を使った「山の薫りのウインナー」が売り出されたり、特産の山椒を使った山椒料理のお店「さんしょう家」が開店したり。
http://nikkokekko.blog121.fc2.com/blog-entry-141.html。閉山後、どんどん人のいなくなったまちの空き家を、若い芸術家が創作に使っているという話も聞きました。
傷ついた分、人は強くなるのでしょうか。足尾が世界に向けて、環境と自然の大切さをアピールする発信地になっていくような気がします。環境観光という形で、私たちはそのお手伝いができるのではないでしょうか。
語り合いましょう。2月10日の「スローライフ・フォーラムin日光」足尾分科会へお運びください。↓
http://www.slowlife-japan.jp/modules/katudou/details.php?blog_id=13※植林が行われている荒れた山々、村の跡などは、私有地。ゲートがあって基本は入れません。撮影も禁止。というわけで、鹿の足跡の写真を載せます。
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ゆとりある記
カリカリ山椒魚
2012/01/08 5:31 pm
栃木県日光市栗山地区、宿に泊ると囲炉裏で炙った山椒魚が出ました。「強壮剤だよ」「キャ〜食べちゃった」などとはしゃいでもいられません。
平家落人伝説のある米の作れない山奥で、タンパク源として、希少な換金物として、この地の人々は山椒魚の燻製を作ってきたのです。

昔の集落はダムに沈み、昔の漢方薬・山椒魚はいまや観光資源に。カリカリと乾いた味でした。
もちろん、天然記念物のオオサンショウウオではありません。ハコネサンショウウオというらしい、20センチほどのもの。トカゲといわれれば、そうかとも思ってしまう姿です。
梅雨時期に山椒魚は沢に卵を産むそうです、細長いカゴのようなものを流れに仕掛け獲るのだそうです。

生命力の強い山椒魚は塩水に漬けると弱る、それを串にさして燻製に。黒ゴムでできたフィギュアのようなものになります。これを煎じて飲むと、疳の虫にきくとか、疲労回復、精力増進とかいわれてきました。

今はお土産品。ドライブインのようなところには、瓶のなかで何匹か泳いでいる山椒魚焼酎も。クマ肉や鹿肉と、和風ジビエの一つのようにも並んで売られていました。

囲炉裏で日本酒を飲みながら、カリカリポリポリをしたのですが、「おいしい!もう一匹」とおかわりするものでもありません。ゲテモノ食いと感じながらも、心の底は妙にしみじみしてしまいます。
山の奥の奥の、昔はほとんど交流のない土地で、沢に入ってこの山椒魚を一生懸命獲って燻して、束にしてお金にして・・・、そういう暮らしに想いを馳せるわけです。日本の山間地の暮らしは、ついこの間まではみんなそんな感じだったのでは。
でも、確かに夜中、身体がポッポしたのは温泉だけのせいではないと思います。
(私のNPOでは2月に日光で「スローライフ・フォーラムin日光」を開催します。詳しくはこちら↓
http://www.slowlife-japan.jp/modules/katudou/details.php?blog_id=136しばらく日光のことを書きますね。)
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ゆとりある記
いつものクリスマス
2011/12/25 6:50 pm

「津波の映像に、強いストレスを感じた時は視聴をお控えください」と警告の出る、特番のテレビを見ました。あらためて感じる恐怖です。
一方、我が家の外は六本木ヒルズ・けやき坂のイルミネーション見物の賑わい。この違和感はなんでしょう、私たちはまだまだ震災の中にあるのに。
いつも通りのおめでたいクリスマス、この様子こそ被災地の方にはストレス映像に映るはずです。

けやき坂を途中まであがったところの横断歩道、ここがカップルの記念写真ポイントです。両側に伸びるイルミネーション真ん中に東京タワー、幸せそうな人々が赤信号を無視してカメラを構えます。


喫茶店は一杯、道路は渋滞、去年と同じキラキラのクリスマス。

「募金箱くらい置くべきよ」とブツブツいう私。「そんなの気休めだよ」と夫。ぼっとしていると、「シャッター押してもらえますか?」というカップルが群がってきます。
断りきれずにVサインのカップルの写真を撮ると、「あ〜、もう一度、長押しでお願いできませんか〜」ときた。“スマホ”というのを覗き込んで、ダメだしをされてしまった。
「じゃあ、もう一回ね」などといいながら、「あんた達、この写真を福島の人に見せられるの?!」と心で叫ぶオバサンなのでした。
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ちょっとしたこと
合気道黒帯
2011/12/18 5:32 pm
私、実は合気道を稽古していまして、このほど黒帯となりました。50代半ばからのスタート、なかなか稽古に行けない、もともと運動神経はダメ、それでも4年間通って、ようやく試験に合格。初段をとってからが本当の“道”、ゆっくり続けるつもりです。自分からは攻めず、腕力・年・性差関係なく平等にいい汗をかける、合気道こそスローライフ・スポーツだと思います。
何かスポーツをしなくてはと思い、これまでいろいろやってはみましたがダメでした。ヨガ教室は、途中で笑い出してしまう。太極拳は、ゆっくり過ぎてストレスになる。水泳教室では、背泳ぎしても潜水になってしまう。社交ダンスでは、脂ギッシュなおじさんに手をネチネチ握られて腹を立ててやめる。という具合で、続いたものはありません。
それが、今の住まいに引っ越したときに、夫が「おい、合気道やろう」と言い出したのです。マンションを探しているときに、今の道場の看板を見つけたのでした。「シャキッと歳をとりたいから」「夫婦一緒なら続くかも」「道場が近いから通える」と積極的な夫に引きずられて、いきなりの入門でした。
その頃は、私は膝が痛く冷え性で、先生に「裸足だと冷えるので、靴下はいて稽古ではだめですか?」と聞いた記憶があります。ところが、稽古が始まると、冷えるどころか汗びっしょり、膝の痛みどころか、最初は全身の筋肉痛です。
平日夜の稽古の日は、その晩、超熟睡。日曜午前の稽古後は、バタンとお昼寝。という今まで経験したことのない、疲れを体験しながら、それが心地よく、なんだかんだと道場に通ってきたわけでした。
技は、おびただしくあり、初心者も有段者も、同じ技を稽古します。なのに、経験を積むと同じ技でも全然違う、キレとかメリハリとか美しさとか。私などは、まだまだドタバタお笑い合気道の域、夫からいつも笑われています。
最初の試験は5級から。4、3、2、1級と進み、その後ある日数を通ったら初段の試験が受けられるというシステム。この12月の初段試験は壮絶(と自分で思う)でした。

中学生の頃使った単語帳を買って、技の全種類を書き、電車の中でそれをめくってシュミレーション。試験に何が出るかわからない、先生がおっしゃった技を次々やり続けるのですから、身体が動く以前に、技を覚えなくちゃ。
夫の方が先に黒帯をとっているので、夜な夜な、出題してもらい、手をとり、回し、ひねり、投げ、決める、なんてことの繰り返しでした。マンションの窓に映る二人の影は変なものだったでしょう。
自由技もあります、流れるように様々な技で相手を投げ続ける。これは自分で覚えます。ね、これだけあるともう、パニックでしょ?!パニックだったんです。
どんなにたくさんの人前で講演してもあがりませんが、合気道の試験は毎回あがります。そして今回も、頭は真っ白。10分間くらいでしたが、終わったトタンにボロボロヨレヨレ。正座して見守っていてくれた稽古仲間は、技のできより、「体力がよくもったね」とほめてくれたものです。
合気道をなぜ続けるか?と今頃考えます。たった1時間でもそうとう汗をかくいい運動だから。おばあちゃんになっても続けられるから。夫と共通の話題ができたから。覚えたり試験に受けたりがチャレンジになるから。道着や袴がかっこいいから。正座や挨拶などが気持いいから。仕事のストレスが吹き飛ぶから。
いろいろ理由はありますが、最近思うのは「いい仲間がいるから」が強いです。
パソコンに一日座って世の中わかったようなことをいって、フェイスブックで友達がたくさんできたとしても、それは乾いて空しい人間関係に思えます。
道場では仕事では出会わない、様々な職種年齢の男女と、頭を空っぽにして身体をぶつける付き合いです。同じ道を目指す、厳しいけれども家族のような仲間と、稽古のあと飲む一杯の麦茶の爽快なこと。混浴の温泉に入ったような、心も温まる時間。
そう、「ああ、私って生身の人間だなあ」と確かめに、道場に通っているのかもしれません。
黒帯、新年からありがたく締めさせていただきます。
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ゆとりある記
潮騒散歩
2011/12/11 9:23 pm
三島由紀夫が1954年に発表した小説『潮騒』、その舞台となった三重県鳥羽市神島を歩きました。周囲4キロ、たった一人で誰にも会わずに、波の音を聞きながら。
島に入る前に『潮騒』読んでいったので、名場面を確かめるにわか文学少女気分です。普通なら「きれい」「おいしい」を連発するだけの旅ですが、同じ風光明媚に物語がかぶさると、また違う深い印象を得る時間でした。
鳥羽から14キロ、人口440人。船が着くと蛸壺がずらり、ここでまだ『潮騒』を読み終わっていない私は、何とか読み終わってから歩き出そうと残り10ページぐらいを速読したのでした。

『潮騒』についての案内があります。三島はこの島に2回やってきて、翌年作品を発表しました。小説の中では「歌島」の名で出てきます。漁師の「新治」と美少女「初江」の純愛物語ですが、浜田光夫・吉永小百合、その後は、三浦友和・山口百恵のカップルでの映画の方が知られているかも知れません。私もそのくちで、百恵ちゃんと友和さんのセミヌードの絵柄が目に焼きついているものでした。

ごみについての表示、これが今の神島の現実。運動不足の私の身体には島一周がきついのも現実、この日泊まる「山海荘」というお宿でまずは杖を借りました。

三島が取材した昭和28年といったら私の生まれた年です。その頃この島には、時計がここだけにしかなかったとか。今は観光用でしょうか、チャーミングな時計が。(でも故障中)

洗濯場が残っていました。貴重な山からのしぼり水。ここで島の人たちはおしゃべりしながら洗濯を。今も何かを洗うのに使われているようです。

八代神社への階段。ここだけではありません、島のほとんどの道は狭く急な坂だらけです。

神社への階段から振り返ると海、三島がほめた風景ですが、神社近くは木で覆われ景色は見えません。それでものどかさは変わらないのでしょう。「サンマの販売について〜♪」などと、放送が流れています。

神社にはアワビの貝殻に愛を誓うメッセージが。やっぱりここは、二人で来るところなのかも。

散策道を登っていくと、海が開け伊良子岬と急流が流れる伊良子水道。船がたくさん通ります。

小さな神島灯台。灯台守夫婦の話が物語りには出てきます。ふ〜、とここで一休み。昨日買ってきた、パンをかじっていると3羽のトンビが。私を歓迎しているのか、パンを狙っているのか。

カンテキショウ跡。監的しょうとは陸軍の施設で、対岸の伊良子岬から試し打ちされる砲弾がどこに落ちたかを監視していて報告する施設だとか。毎日ここにいて、海を見つめている、昔はそんな仕事があったわけです。

昭和4年に建てられたカンテキショウは、いまや廃墟ですが。三島はこの古い建物を炎のようなロマンスの現場にしました。大雨の中、ここに避難し、焚き火で服を乾かし暖をとる恋人たち。初江が自分のことを本当に好きなら、その炎を飛び越えて来い!と新治に言い放つのが印象的です。

道を彩るツワブキ。こんな道なので一人歩きでも寂しくありません。

道から乗り出して、崖下をのぞくと神様が降りてくるような美しい海です。

石灰岩の岩肌。カルスト地形というそうです。

ついついきれいな砂浜に下りました。本当にザ〜ザ〜と波が心地よい音をたてて私の眠気をいざないます。

思わず昼寝に入っていると、軽い竹の杖が波に運ばれるところでした。

甘いクコのも実。誰も採る人がいません。

お墓。捕獲魚貝類水族の慰霊の塔婆が立っています。
やっぱり、歩くのは一人に限るな〜。人がいればしゃべるから潮騒が聞こえない、深く細かく観察できない。加えて物語をたどりながらだと、想像力を働かせて時間旅行ができる。
こんな時間が、妙に大切だと深く感じたのでした。
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目黒めぐろう
2011/12/04 8:56 pm
今年の冬に、東京・目黒区で「地域デビュー講座」をやりました。そのときのメンバーと、3月から6回、目黒のあちこちを歩いてきました。毎回幹事さんを決めてブラリ。
巡ったおすすめポイントを各人が手書きメモに、15ヶ所を紹
介する「スローライフ情報」ペーパーにしました。同じ中高年に伝えたい、と。目黒を知って、仲間をつくって、もう、この動きはやめられませんね・・。

当初の講座は、地域再発見!仲間づくり、という中高年向けの講座です。少人数ではありましたが、「地域を知ろう。あなたのおすすめポイントは?」とワークショップをしてみると、同じ年代におすすめしたい目黒のいいところが、次々と挙がりました。中高年の方々は、そのまま情報の宝庫なのでした。

講座は終わったのですが、せっかく出合ったのだから、そのおすすめポイントを巡ってみようと、3月から巡り始めました。(その様子は何度かブログにかきましたが)
http://noguchi-tomoko.com/modules/yutoriaruki/details.php?blog_id=94
幹事さんが住む、お得意の地元を歩きます。お寺があったり、商店街があったり、公園だったり。10時から2時間くらい歩いて、昼食を食べて解散。フワッとした活動ですが、とても楽しいものでした。

歩くたびに小さな発見があり、歩くごとに仲良くなり。一つの場所も、5人いると5人の情報が積み上がり、お互いが「ふ〜ん、なるほどね」を繰り返します。専門のガイドさんが居なくとも、“住民情報”は強いのです。

で、6回歩いた後は、その思い出深い場所を鉛筆で字と絵を描いてメモにしました。そのメモをA3の紙にはって、裏表コピーすると立派な「スローライフ情報」のペーパーができます。

私的な感想なので、それぞれにおもしろいメモ、字も絵も様々でそれが人間味を感じておもしろい。文字になったクチコミ情報という雰囲気です。

そのぺーパーをお披露目しながら、来る12月7日(水)14時〜16時目黒区役所総合庁舎で私が話をします。ご興味ある方はお越しくださいね。(「めぐろ再発見!心ゆたかに地域で暮らそう」問合せは高齢福祉課いきがい支援係りまで)

先日、情報ペーパーを作りにみんなが集まった時、街にはポスターが貼られ、目黒区役所の高齢福祉課には巨大な看板がかかっていて、驚いたものです。

私はあちこちで地域おこしや、生きがいづくりとかの話をします。でもいつも思うのですが、聞いた人が「うん!わかった。そうだな」とうなづいたとしても、その先、何から始めていいのやら、初めの一歩が出ないのではしょうがありません。うなづき上手の人がどんなに増えても、世の中変わらないのですから・・。

新しいことを始めるにはパワーがいる、中高年になると、毎日「膝が痛い」「介護がたいへん」「肩がこる」「話し相手がいない」「節約節約」「面倒くさい」というのが現実。地域のことなんてとんでもない、というのが正直なところです。

ただ、ちょっと肩を押す係がいて、そんなに大変じゃない仕組みで何かを始められると、「膝が痛いけど歩けた」「介護の気分転換になった」「動いた方が元気になるね」「久しぶりにたくさん話した」「お金をかけなくても楽しい」「挑戦するのっていいね」という感想が出てきます。

歩く、話す、食べる、笑う、表現する、が基本。この集まりはいつしか「目黒めぐろう会」という名になりました。少しメンバーを増やして、来年もまた皆さん巡りましょうか?
(写真は、どれがどこというわけでなく、巡っている間に撮ったいろいろです。)
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ゆとりある記
北の屋台へ
2011/11/27 4:26 pm
北海道帯広の「北の屋台」といえば、まちづくり拠点としての“屋台ブーム”の火付け役。街を良くしたいというみんなの思いが屋台に結集し、20件の店が寒さの中で奮闘しています。
せっかく街にこんな場があるのなら、訪れた側は暖かいホテルの中だけにいないで、コートをはおって「よし、それ!」と外に繰り出さなくては。小さなカウンターでの味、話はまた格別です。


平成13年にできた帯広「北の屋台」、銀座通りからひょいっと入った所に店が並んでいます。先ずはトイレに行って、その美しさにびっくり。屋台といえば汚いトイレがつきものですが、さすが。トイレで知り合った人と、名刺交換までしてしまいました。
腰を下ろしたのは、ブラジル料理の屋台「オブガリータ」。帯広でなぜ?と思われるでしょうが、地元の人も利用する屋台ですから、いかにも帯広という店ばかりじゃ飽きちゃいますよね。韓国料理などもあり、ここの屋台村の構成が上手いなと思います。

ブラジル料理といっても、こてこてブラジルではありません。基本、地産地消。店のメニューには、野坂さんのユリ根、波佐さんのインカの目覚め、神谷農場のニンニクなど○○さんの△△という表示です。

早速、地元の源ファームの生ハムを、ここのママさんが切り分けてくれました。彼女は長くブラジルに住んでいたとのこと。離婚し日本に戻ったことをきっかけに、人に使われるより自分でやってみようと、屋台にチャレンジしたそうです。
まちおこしだけでなく、屋台は自分おこしの装置でもあったのでした。娘さんと二人でがんばっています。
同じブラジルに定年を機に渡り、ボランティアで現地の学校づくりに協力をしてきたというもと教員のご夫婦が、なつかしいブラジルのお酒を飲んでおいででした。カウンター越しに、いろんな人生が交わります。

ふらりと向かいの屋台へ移動、ここには「緑提灯」がぶら下がっています。私はこの提灯の仕組みを知りませんでした。
北海道・小樽から始まった、日本の農水産業を向上させようと飲食店が地場産品を使う運動の象徴だそうです。
日本の食料自給率が約40パーセントなので、お店のメニューが地産地消50パーセントなら★ひとつ。60パーセントなら★2つ、90パーセントなら★5つという仕組みだそうです。

「農屋」と書いて「みのりや」と読むこの屋台は、堂々★5つ!でした。ここのご主人は、さまざまな料理を現場で学び、それでも全く違う商売もしてみようと運転手などもやって、そして、この屋台に行き着いたという人。北海道でよく登場する山ワサビを漬け込んだ、焼酎をすすめてくれます。



ふっくらとウエストの太い本物のシシャモ。薄味に煮た白子。バター醤油で食べるジャガイモのイモ餅。“地場産品応援の店”だけあって、「おいしい、おいしい」の連続です。

メニューにある「とまらない豆」がまたおいしかった。いわゆる浸し豆なのですが、これが本当に止まらない、お箸の行ったりきたりが止まらない。作り方を教わったのですが、そのレシピは酔いとともに飛んでいってしまいました。また、食べに行くしかありません。
もしこの晩、私が「寒いから、ホテルのなかに居よう」と閉じこもっていたら、こんなおいしい時間は過ごせません。帯広の印象も違ったはずです。人と味に触れ合うには、行動力必要。誘ってくださった方々、ありがとうございました。
で、帯広の最後は、有名スイーツ。空港に向かう前に量り売りスイートポテト1キロを買い込んで帰ったのです。
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